『八十日間世界一周』(はちじゅうにちかんせかいいっしゅう、原題 Le tour du monde en quatre-vingt jours)はジュール・ヴェルヌによる1872年に発表されたフランスの小説。
イギリス人冒険家フィリアス・フォッグ氏が執事のパスパルトゥーを従え、後期ビクトリア朝時代の世界を80日で一周しようと試みる、波瀾万丈の冒険物語である。古典的冒険小説。
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刊行当時、既にトーマス・クック社主催による世界一周ツアーが行われるようになっており、ヴェルヌはこれに刺激されて本作を書いたと言われている。
物語は1872年10月2日のロンドンに始まる。主人公フィリアス・フォッグ氏は裕福で独身貴族的な人生を謳歌していた。彼には、物事を尋常ではない正確さで行う習慣とトランプゲームに傾注する癖があった(それ以外の私生活は全く謎で、何故大金を持っているかも詳らかでない。が、ロンドンの紳士クラブ「リフォームクラブ」(The Reform Club)のメンバーは一部を除き気にしていないようだ)。そのせいで彼の元執事はフォッグ氏のひげそりに使うお湯の温度を2゚F間違えたために解雇されてしまい、新たにこれまた規則正しい生活を望んでいるフランス人のパスパルトゥー氏が雇われた。パスパルトゥー氏が雇われた日の遅く、「リフォーム・クラブ」でフォッグ氏は他の紳士らとデイリー・テレグラフ紙のある記事について議論をした。同紙に載っていたインドに新たに鉄道が設けられたという記事について、フォッグ氏は「これで世界を八十日で一周することが可能になった」、と主張したのだ。そのスケジュールは次のとおり
フォッグ氏は自らの全財産の半分、20000ポンドを旅費に当て、残りの半分はクラブの仲間たちとの掛け金にした。もし80日間で世界一周を果たせなかった際には、彼は全財産を失うことになる。まだ困惑したままの新しい執事を伴い、彼はただちに出発する。フォッグ氏は10月2日午後8時45分発の列車でロンドンを出発したので、彼のリフォームクラブへの帰還はそれから80日後の、12月21日の同時刻に設定されることとなった。
フォッグ氏とパスパルトゥーは、時間通りにスエズ運河へ到着した。下船しエジプトに滞在している間、フォッグ氏はスコットランド・ヤードの刑事、フィックスにひそかに見張られていた。フィックスは、スコットランド・ヤードによって、ある銀行強盗の捜索のため派遣されていたのである。フォッグ氏の容貌がその銀行強盗の外見的特徴と似通っていたために、フィックスはすっかりフォッグ氏を銀行強盗と取り違えてしまっていたのだ。時間内に令状を取得できなかったため、フィックスは旅行者たちをボンベイへと運ぶ蒸気船に乗船することとなった。旅を続ける間、フィックスは自分のフォッグ氏を逮捕する目的をうまく隠したまま、パスパルトゥーと知り合いになった。
依然として時間通りに、フォッグ氏とパスパルトゥーはボンベイに到着し、交通手段を鉄道に切り替えカルカッタに向かい、それをフィックスは内密に後をつけていた。鉄道の敷設が完了していないことが明らかになると、2つの駅の間の途切れたルートを進むため、フォッグ氏は象を2000ポンドという途方もない値段で購入した。
象に乗り、隣の駅へと向かう途上で、彼らはサティー(インド古来の、未亡人の女性が夫の後を追い殉死する儀式)の儀式へと向かう行列に遭遇し、その中に翌日儀式の生贄にされる若いインド人の女性、アウダを見かけた。その女性が見るからに麻薬で意識を朦朧とさせられており、進んで儀式に参加しようとしている様子ではなかったので、旅行者たちは彼女を救出することを決意する。彼らは儀式が行われる場所まで行列の後をつけ、パスパルトゥーは女性が翌朝その上で焼かれることとなっている、亡くなった夫の死体がある場所を確認し、ある計画を思いついた。夜が明け、儀式が行われている間、パスパルトゥーは突如身を隠していた薪の中から起き上がり、僧たちが恐怖におびえているすきに女性を運び去ったのである。
救出を終えると、一行はアウダを連れ、列車に間に合うように次の鉄道の駅まで象を急がせた。カルカッタで、ついに彼らは香港行きの蒸気船に乗り込む。こっそりと彼らのあとを追っていたフィックスはまたもやカルカッタでフォッグの逮捕令状を取り損ね、香港まで一行の後を追う羽目になった。船の中で、フィックスはパスパルトゥーの前に姿を現し、パスパルトゥーは旅の初期の頃からの知り合いに再会できた事を喜んだ。
香港で、一行がアウダの身柄を預けようとしていた彼女の遠い親戚が、すでに他の土地に移ってしまったのが明らかになり、一行は彼女をヨーロッパまで一緒に連れて行くことにした。その間、未だに令状を手に入れられないままのフィックスは、香港こそイギリスの領土内でフォッグ氏を逮捕できる最後のチャンスだと考えていた。それゆえに、フィックスはパスパルトゥーに自分の意図を打ち明けたが、従順な召使は、自分の主人が銀行強盗であるとはみじんも信じることがなかった。パスパルトゥーが主人に取り急ぎ次の大型船で香港を離れるべきであると知らせるのを防ぐために、フィックスは彼を酔いつぶし、さらには阿片窟に連れ込んで麻薬で意識を麻痺させてしまう。朦朧とした意識の中で、パスパルトゥーはどうにか横浜行きの蒸気船に乗り込んだが、それを主人に知らせるのはうっかり忘れてしまう。
フォッグ氏は翌日、日本への移動手段が絶たれたことに気づいた。彼は次の目的地である横浜へ向かう大型船を必死に探した。フォッグ氏は小さな水先案内船を見つけ、船長に大金を握らせて一行(フォッグ氏、アウダ、フィックス)は横浜経由・サンフランシスコ行きの大型船の出発地・上海へ向かう。洋上で暴風雨に遭うものの、上海で運良く乗船予定の船に助けられる。横浜にて、一行はパスパルトゥーが香港からの蒸気船に乗って横浜にたどり着いていることを信じ、市内を探し回る。ついに一行は、彼が家に帰る資金を稼ぐために、サーカスで一員として働いているのを発見した。
無事再会した4人は、太平洋を横断しサンフランシスコへ向かう蒸気船に搭乗する。フィックスは、イギリスの領土を離れた今となっては、フォッグ氏の旅を邪魔して遅らせようとはせず、むしろできるだけ早くイギリスへたどり着けるよう(というのは彼がフォッグ氏を本国で逮捕したいからであるが)、助力することをパスパルトゥーに約束する。
サンフランシスコで、一行はニューヨーク行きの列車(大陸横断鉄道)に乗り込んだ。旅の途上、列車はインディアンの群れの攻撃を受け、インディアンたちはパスパルトゥーと他の2人の乗客を人質として連れ去ってしまった。フォッグ氏は予定通り旅を続けるか、それともパスパルトゥーの救出に向かうかのジレンマに悩んでしまう。彼は救出を決断し、砦の近くの兵士たちとインディアンの集落に向かい、無事人質たちの解放に成功したのだった。
救出で生じた遅れを取り戻すため、フォッグと一行はそりを雇い、オマハへ向かった。そこでどうにか時間通りにシカゴ行きの列車に乗り込むことができた一行は、シカゴでニューヨーク行きの列車に乗り換えた。しかし、ニューヨークに到着した一行は、乗ろうとしていたリバプール行きの蒸気船が、45分前に出発してしまっていたことを知る羽目になった。 翌日、フォッグ氏は大西洋を横断するための、代わりの手段を探し始める。彼はボルドーへ向かう小さな商船を見つけた。しかし、船長は一行をリバプールへ乗せていくことを拒み、仕方なくフォッグ氏はボルドーへ向かうことを一旦受け入れた。しかし洋上で、彼は乗組員を買収し、船の針路をリバプールへ変更させたのである。常に全力で炉の火を焚き続けたために、船は数日後に燃料を使い果たしてしまった。フォッグ氏は再度べらぼうな値段で船長から船を買い取りなだめすかし、炉を絶やさないために、船の木でできた部分を乗組員たちに燃やさせた。
一行は期限の数日前にリバプールへ到着し、列車に乗り込めば余裕を持ってロンドンへ到着することができるように思われた。しかし、イギリスの領土へ戻った途端、フィックスは令状を取得し、フォッグ氏を逮捕してしまったのだ。そのすぐ後、誤解は解消され、本物の銀行強盗はすでに数日前に逮捕されていたことが判明した。しかし、フォッグ氏は予定していた列車に乗ることができず、12月21日土曜8時50分に、5分遅れでロンドンへ到着した。それは、彼が賭けに負け、全財産を失うことを意味するのであった。
翌日、ロンドンのフォッグ氏邸にて、フォッグ氏はアウダにロンドンまで連れてきてしまったことを詫びた。今後はフォッグ氏は貧乏な生活しか送ることができず、経済的に彼女を支えることができないからだった。アウダは、どのような苦境も2人なら分かちあえると言う、そして、私を妻にしてくれないか、と。彼はパスパルトゥーを呼び、牧師に知らせるように頼んだ。だが、牧師の館で、パスパルトゥーは結婚を断られる。明日が日曜だからだ。一行は東回り航路を旅したため、日付変更線を横切り、丸1日稼いでいたのだ。
パスパルトゥーはものすごい勢いでフォッグ氏の元に戻り、リフォームクラブへと主人を向かわせた。フォッグ氏は期限ぴったりにリフォームクラブへ到着し、賭けに勝利したことを宣言した。こうして、世界一周の旅は終わりを告げた。しかし彼には莫大な出費により、得たものなど何もなかった、ただ一人彼をもっとも幸福な人間にした、美しい女性を除いて。しかし最後にこの作品は全ての計算を放棄する。そもそも人は得られるものがもっと少なかったとしても、世界一周の旅に出かけるのだろう、と。
日本語での同小説の翻訳
鈴木啓二訳(2001年)「八十日間世界一周」(岩波書店)
江口清訳(1978年)「八十日間世界一周」(角川文庫)
田辺貞之助訳(1976年)「八十日間世界一周」(東京創元社)
『八十日間世界一周』に魅了された人々
ここでは、ヴェルヌの描いた世界の虜になって、主人公フィリアス・フォッグ氏を真似ようとした人々を紹介する。
1899年 - ネリー・ブライは彼女の勤めていた新聞社であるNew York Worldのために世界を80日間で一周しようと試みた。彼女はその旅を72日間で成し遂げてみせた。
1908年 - ハリー・ベンズリーは賭けにおいて、世界を徒歩で、また鉄仮面をかぶりながら一周しようと試みた。
1988年 - モンティ・パイソンのメンバーであるマイケル・ペイリンはBBCの同タイトル(英語での題名:Around the World in Eighty Days )の旅行番組として、フォッグ氏とできるだけ同じルートを飛行機を使わずに辿ろうと試みた。
1993年から現在 - ジュール・ヴェルヌ・トロフィー(The Jules Verne Trophy)は、止まること無くまた第三者の手助け無しに世界を最も短時間で周航するボートが所有することになっている。しかし公式にトロフィーを所有するにはジュール・ヴェルヌ協会へメンバー会費を払わなければならない。現在までの記録保持者は:
2002年: Orange, 64日
1997年: Sport Elec, 71日
1994年: ENZA, 74日
1993年: Commodore Explorer, 79日
映像化
これまで何度か映画化・ドラマ化・パロディ化されているが、主なものは
八十日間世界一周(1956年、アメリカ)
80デイズ(2004年、アメリカ)
また、日本で製作されたアニメとしては
長靴をはいた猫 80日間世界一周(1976年、東映)
アニメ80日間世界一周(テレビアニメ:1987年、日本アニメーション・テレビ朝日)
などがある。
本作の影響を受けた作品
銀河疾風サスライガー(テレビアニメ:1983年、国際映画社・テレビ東京)
大学入試センターテスト「地理B」(1998年、独立行政法人大学入試センター)
電波少年的80日間世界一周
「進ぬ!電波少年」(1998年 - 2002年、日本テレビ)で、本作を元ネタにした企画「電波少年的80日間世界一周」(1999年)が実施された。