アブド・アッラフマーン3世(Abd ar-Rahman III、889年–961年10月15日)は、後ウマイヤ朝の第8代アミールでもあり、初代カリフでもある。第7代アミール・アブド・アッラーフの孫(アミール在位:912年–929年。カリフ在位:929年–961年)。
912年に即位したが、若年で即位したために国内における統率が取れず、王朝内部では主導権をめぐる派閥対立が発生し、国外ではキリスト教徒によるレコンキスタ運動が盛んになったうえ、アフリカ北部の王朝・ファーティマ朝が勢力拡大を目指して侵攻してくるなど、治世前半から難題が積まれてしまった。しかしアッラフマーン3世は若年であるにも関わらず、国内を見事に統率するに至り、敵対勢力も全て撃退するなど、優れた手腕を見せたのである。
そして929年、これらの経緯から君主として自信をつけたアッラフマーン3世は宿敵・アッバース朝やファーティマ朝と対抗するためにカリフとして即位し、ここにイスラム世界は東にアッバース朝、西に後ウマイヤ朝の二大カリフが存立するに至ったのである。その後、レコンキスタを徹底的に弾圧して959年にイベリア半島全土をほぼ支配下に治め、アフリカ北部にも勢力を拡大した。内政においても農業を奨励して生産を倍増させ、軍備を拡大して軍隊の強化に努めた。さらに文化を保護し、イスラム文化と欧州の文化を融合させた一代文化を形成した。このため、後ウマイヤ朝の首都・コルドバは世界商業の一大商業都市として大いに発展し、その人口は30万人以上を数えるに至ったのであった。
キリスト教国との外交も行い、レオン国王サンチョ1世や神聖ローマ帝国皇帝オットー1世に使節を派遣している。
961年、73歳で死去し、後を子のハカム2世が継いだ。
アッラフマーン3世の時代、後ウマイヤ朝はその治世のもとで全盛期を迎えるに至ったのである。なお、彼の生年には異説が多く、一説には891年生まれとも言われている。
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